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観音寺 (津観音) : ミニ英和和英辞書
観音寺 (津観音)[かんのんじ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かん]
  1. (n,n-suf) look 2. appearance 3. spectacle 
観音 : [かんのん]
 【名詞】 1. Kannon 2. Kwannon 3. Buddhist deity of mercy 
: [おと, ね]
  1. (n,n-suf) sound 2. note 
: [てら]
 【名詞】 1. temple 

観音寺 (津観音) ( リダイレクト:津観音 ) : ウィキペディア日本語版
津観音[つかんのん]

津観音(つかんのん)は三重県津市大門にある寺院。寺号は詳しくは恵日山観音寺と称する。宗派は真言宗醍醐派。本尊は聖観音菩薩浅草観音大須観音と並んで日本三大観音の一つとされる。付近は県を代表する古くからの繁華街歓楽街を形成している。三重県では専修寺に次いで2番目に参拝者数の多い寺院であり、2013年には230,000人が参拝した。
== 歴史 ==

=== 草創期 ===
『勢陽雑記』(近世の地誌)等が伝える伝承によれば、創建は奈良時代の初め、和銅2年(709年)に伊勢阿漕ヶ浦の漁夫の網に聖観音立像がかかり、これを本尊として開山したのが始まりであるという。しかし度重なる災害に遭ったためか、以後中世までの記録が一切残っていない。津観音に関する現存最古の明確な文献は、室町時代の永享2年(1430年)、将軍足利義教が朝命を奉じて観音寺の境内に三重塔及び恵音院を建立し、若干の地領を付けたことに関するものである。観音寺はもとは現在の津市柳山にあり、永享2年の時点で観音寺の境内には堂宇が立ち並んでいたのは確かである。康正元年(1455年)、当時の守護代である長野大和守教高からの下知状(武家様式の文書)によると、室町時代に観音寺が津開発のために領主の特別な庇護を受けたことが知られている。この時代の文献に見出せる境内の建物は、観音寺・恵音院・不動院・三重塔及び、当初観音寺とは別の地にあった六大院(大宝院)のみである。
このうち不動院についての史料では、延徳2年(1490年)春頃、津市西来寺の開基で、天台真盛宗の宗祖真盛上人が、伊勢国に行化の際、観音寺境内にあった不動院に滞留して、観音堂にて諸人に念仏を勧めたという。このため、不動院本堂(焼失)には本尊不動明王の脇壇に真盛上人の木像を安置していた。そして西来寺の住職が晋山の際はまず不動院に入り、西来寺々中の出迎えを受けて入山することが例となって、近年まで守られていた。しかし明応7年(1498年)津地方に大地震があり全地を海水に浸されたため、近在の民家と共に観音寺も現在の津市大門町に移転した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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